[{"question":"1916年、千歳村村長の山田旦、郵便局長の中川種次郎、村議の渡部栄蔵の3人は、千歳市街地の南にある、サンナシの沢に盆栽用の木を取りに出かけたが、その場所は樽前山の度重なる噴火による降灰で作物が育たない場所であったため、「この広い土地を飛行場にでもできないものか」と夢を語り合っていた。","question_kana":"1916年(ねん)、千歳村(ちとせむら)村長(そんちょう)の山田(やまだ)旦(あきら)、郵便(ゆうびん)局長(きょくちょう)の中川(なかがわ)種次郎(たねじろう)、村議(そんぎ)の渡部(わたなべ)栄蔵(えいぞう)の3人(にん)は、千歳(ちとせ)市街地(しがいち)の南(みなみ)にある、サンナシの沢(さわ)に盆栽(ぼんさい)用(よう)の木(き)を取(と)りに出(で)かけたが、その場所(ばしょ)は樽前山(たるまえさん)の度重(たびかさ)なる噴火(ふんか)による降灰(こうかい)で作物(さくもつ)が育(そだ)たない場所(ばしょ)であったため、「この広(ひろ)い土地(とち)を飛行場(ひこうじょう)にでもできないものか」と夢(ゆめ)を語(かた)り合(あ)っていた。","answer":"◯","note":"サンナシの沢は、樽前山の度重なる噴火による降灰で作物が育たなかったんだ。その広大な土地を当時の人たちは、飛行場にできないかと夢を語り合っていたんだね。","note_kana":"サンナシの沢(さわ)は、樽前山(たるまえさん)の度重(たびかさ)なる噴火(ふんか)による降灰(こうかい)で作物(さくもつ)が育(そだ)たなかったんだ。その広大(こうだい)な土地(とち)を当(とう)時(じ)の人(ひと)たちは、飛行場(ひこうじょう)にできないかと夢(ゆめ)を語(かた)り合(あ)っていたんだね。"},{"question":"1926年、千歳村は小さな村であったが、北海道鉄道の札幌線<苗穂-沼ノ端>が開通することとなり、千歳駅ができることとなった。","question_kana":"1926年(ねん)、千歳村(ちとせむら)は小(ちい)さな村(むら)であったが、北海道(ほっかいどう)鉄道(てつどう)の札幌(さっぽろ)線(せん)<苗穂(なえぼ)-沼(ぬま)ノ端(はた)>が開通(かいつう)することとなり、千歳(ちとせ)駅(えき)ができることとなった。","answer":"◯","note":"1926年8月、北海道鉄道の札幌線<苗穂-沼ノ端>が開通し、千歳村に駅が建設されたことが飛行場の誕生につながるんだよ。","note_kana":"1926年(ねん)8月(がつ)、北海道(ほっかいどう)鉄道(てつどう)の札幌(さっぽろ)線(せん)<苗穂(なえぼ)-沼(ぬま)ノ端(はた)>が開通(かいつう)し、千歳村(ちとせむら)に駅(えき)が建設(けんせつ)されたことが飛行場(ひこうじょう)の誕生(たんじょう)につながるんだよ。"},{"question":"1926年8月、鉄道の千歳駅を利用し、千歳村でさけの孵化場の見学を行う観楓会の開催を企画したのは小樽新聞社<現在の北海道新聞社>であった。","question_kana":"1926年(ねん)8月(がつ)、鉄道(てつどう)の千歳(ちとせ)駅(えき)を利用(りよう)し、千歳村(ちとせむら)でさけの孵化(ふか)場(じょう)の見学(けんがく)を行(おこな)う観楓(かんぷう)会(かい)の開催(かいさい)を企画(きかく)したのは小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)<現在(げんざい)の北海道新聞(ほっかいどうしんぶん)社(しゃ)>であった。","answer":"◯","note":"小樽新聞社は、千歳村の村長に対し札幌線<苗穂-沼ノ端>が開通した千歳村で「観楓会<秋の紅葉を楽しむ会>」を行いたいと申し出ました。当時、千歳村には飲食店がなかったため、小樽新聞社は千歳村の村長に、観楓会当日のお昼ご飯の用意をお願いしたんだよ。これを千歳村は快く引き受け、そのお礼として小樽新聞社所有の飛行機を千歳の上空に飛ばしてくれることとなったんだ。","note_kana":"小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)は、千歳村(ちとせむら)の村長(そんちょう)に対(たい)し札幌(さっぽろ)線(せん)<苗穂(なえぼ)-沼(ぬま)ノ端(はた)>が開通(かいつう)した千歳村(ちとせむら)で「観楓(かんぷう)会(かい)<秋(あき)の紅葉(こうよう)を楽(たの)しむ会(かい)>」を行(おこな)いたいと申(もう)し出(で)ました。当時(とうじ)、千歳村(ちとせむら)には飲食店(いんしょくてん)がなかったため、小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)は千歳村(ちとせむら)の村長(そんちょう)に、観楓(かんぷう)会(かい)当日(とうじつ)のお昼(ひる)ご飯(はん)の用意(ようい)をお願(ねが)いしたんだよ。これを千歳村(ちとせむら)は快(こころよ)く引(ひ)き受(う)け、そのお礼(れい)として小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)所有(しょゆう)の飛行機(ひこうき)を千歳(ちとせ)の上空(じょうくう)に飛(と)ばしてくれることとなったんだ。"},{"question":"小樽新聞社は、観楓会の接待を千歳村が快く受け入れてくれたお礼として、千歳村上空に飛行機を飛ばし、その際に上空から記念として「お水」を撒く提案をしてくれた。","question_kana":"小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)は、観楓(かんぷう)会(かい)の接待(せったい)を千歳村(ちとせむら)が快(こころよ)く受(う)け入(い)れてくれたお礼(れい)として、千歳村(ちとせむら)上空(じょうくう)に飛行機(ひこうき)を飛(と)ばし、その際(さい)に上空(じょうくう)から記念(きねん)として「お水(みず)」を撒(ま)く提案(ていあん)をしてくれた。","answer":"×","note":"お水を撒かれたら大変だよね。小樽新聞社が実際に上空から撒こうとしたのは、「小樽新聞社の宣伝ビラ」だったんだよ。","note_kana":"お水(みず)を撒(ま)かれたら大変(たいへん)だよね。小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)が実際(じっさい)に上空(じょうくう)から撒(ま)こうとしたのは、「小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)の宣伝(せんでん)ビラ」だったんだよ。"},{"question":"1926年、小樽新聞社が当時所有していた飛行機の名前は「北海道」第1号である。","question_kana":"1926年(ねん)、小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)が当時(とうじ)所有(しょゆう)していた飛行機(ひこうき)の名前(なまえ)は「北海道(ほっかいどう)」第(だい)1号(ごう)である。","answer":"×","note":"似ているけど、正しくは「北海」第1号なんだ。「名水ふれあい公園」に隣接する浄水場に、「北海」第1号の原寸大模型が展示されているから見に行ってみよう。\n蘭越浄水場の開園期間:4月第4土曜日から11月15日まで","note_kana":"似(に)ているけど、正(ただ)しくは「北海(ほっかい)」第(だい)1号(ごう)なんだ。「名水(めいすい)ふれあい公園(こうえん)」に隣接(りんせつ)する浄水場(じょうすいじょう)に、「北海(ほっかい)」第(だい)1号(ごう)の原寸(げんすん)大(だい)模型(もけい)が展示(てんじ)されているから見(み)に行(い)ってみよう。\n蘭越(らんこし)浄水場(じょうすいじょう)の開園(かいえん)期間(きかん):4月(がつ)第(だい)4土曜日(どようび)から11月(がつ)15日(にち)まで"},{"question":"小樽新聞社が飛行機を千歳村の上空で飛ばし、宣伝のビラを撒くと聞いた千歳村民は、飛行機を見たことがなかったため、「ぜひ着陸して近くで見たい」とお願いした。","question_kana":"小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)が飛行機(ひこうき)を千歳村(ちとせむら)の上空(じょうくう)で飛(と)ばし、宣伝(せんでん)のビラを撒(ま)くと聞(き)いた千歳(ちとせ)村民(そんみん)は、飛行機(ひこうき)を見(み)たことがなかったため、「ぜひ着陸(ちゃくりく)して近(ちか)くで見(み)たい」とお願(ねが)いした。","answer":"◯","note":"千歳村は「ビラを撒くなら着陸して飛行機を間近で見せてもらえませんか」と小樽新聞社に頼んだんだ。着陸場もなかったのにお願いしたことが、着陸場造りのきっかけになったんだよ。当時は、それほど飛行機はめずらしいものだったんだね。","note_kana":"千歳村(ちとせむら)は「ビラを撒(ま)くなら着陸(ちゃくりく)して飛行機(ひこうき)を間近(まぢか)で見(み)せてもらえませんか」と小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)に頼(たの)んだんだ。着陸(ちゃくりく)場(じょう)もなかったのにお願(ねが)いしたことが、着陸(ちゃくりく)場(じょう)造(づく)りのきっかけになったんだよ。当時(とうじ)は、それほど飛行機(ひこうき)はめずらしいものだったんだね。"},{"question":"千歳村の人たちの「飛行機を間近で見たい」という思いが小樽新聞社に伝わり、着陸場を造成することとなったが、その際、場所の選定や造成方法を指導してくれた小樽新聞社の操縦士は「酒井憲次郎」であった。","question_kana":"千歳村(ちとせむら)の人(ひと)たちの「飛行機(ひこうき)を間近(まぢか)で見(み)たい」という思(おも)いが小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)に伝(つた)わり、着陸(ちゃくりく)場(じょう)を造成(ぞうせい)することとなったが、その際(さい)、場所(ばしょ)の選定(せんてい)や造成(ぞうせい)方法(ほうほう)を指導(しどう)してくれた小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)の操縦士(そうじゅうし)は「酒井(さかい)憲次郎(けんじろう)」であった。","answer":"◯","note":"小樽新聞社員が千歳村役場で観楓会の相談に来た日から数日後、小樽新聞の操縦士である酒井憲次郎が千歳村を訪れ、札幌から千歳村への航空路を予想し、周辺の地形を頭に入れたんだ。そして、飛行機を無事に着陸させるための場所の選定と造成方法の指導に当たったんだよ。そして選ばれた場所が当時、村長さんたちが夢を語り合った「サンナシの沢」だったんだ。","note_kana":"小樽(おたる)新聞(しんぶん)社員(しゃいん)が千歳(ちとせ)村役場(むらやくば)で観楓(かんぷう)会(かい)の相談(そうだん)に来(き)た日(ひ)から数日(すうじつ)後(ご)、小樽(おたる)新聞(しんぶん)の操縦士(そうじゅうし)である酒井(さかい)憲次郎(けんじろう)が千歳村(ちとせむら)を訪(おとず)れ、札幌(さっぽろ)から千歳村(ちとせむら)への航空路(こうくうろ)を予想(よそう)し、周辺(しゅうへん)の地形(ちけい)を頭(あたま)に入(い)れたんだ。そして、飛行機(ひこうき)を無事(ぶじ)に着陸(ちゃくりく)させるための場所(ばしょ)の選定(せんてい)と造成(ぞうせい)方法(ほうほう)の指導(しどう)に当(あ)たったんだよ。そして選(えら)ばれた場所(ばしょ)が当時(とうじ)、村長(そんちょう)さんたちが夢(ゆめ)を語(かた)り合(あ)った「サンナシの沢(さわ)」だったんだ。"},{"question":"1926年、千歳村に着陸場を造成することについて、村民の労力奉仕を仰ぐため、村長は「着陸場を造るか否かの件」を議題として村民会議を開いたが、村民の賛同を得ることができなかった。","question_kana":"1926年(ねん)、千歳村(ちとせむら)に着陸(ちゃくりく)場(じょう)を造成(ぞうせい)することについて、村民(そんみん)の労力(ろうりょく)奉仕(ほうし)を仰(あお)ぐため、村長(そんちょう)は「着陸(ちゃくりく)場(じょう)を造(つく)るか否(いな)かの件(けん)」を議題(ぎだい)として村民(そんみん)会議(かいぎ)を開(ひら)いたが、村民(そんみん)の賛同(さんどう)を得(え)ることができなかった。","answer":"×","note":"村長は、「もし札幌へ映画を見に行くとすれば、汽車賃に昼食代を加えると、1回3円はかかる。1日働いてもらえるお金が1円20銭として、二日間みんなが働いてくれたら、映画を観るより安く、珍しい飛行機を見ることができる。」と村民へ提案し、賛同を得たんだよ。","note_kana":"村長(そんちょう)は、「もし札幌(さっぽろ)へ映画(えいが)を見(み)に行(い)くとすれば、汽車賃(きしゃちん)に昼食代(ちゅうしょくだい)を加(くわ)えると、1回(かい)3円(えん)はかかる。1日(にち)働(はたら)いてもらえるお金(かね)が1円(えん)20銭(せん)として、二日間(ふつかかん)みんなが働(はたら)いてくれたら、映画(えいが)を観(み)るより安(やす)く、珍(めずら)しい飛行機(ひこうき)を見(み)ることができる。」と村民(そんみん)へ提案(ていあん)し、賛同(さんどう)を得(え)たんだよ。"},{"question":"1926年、千歳村民の着陸場造りには、力自慢の大人の男だけが頑張った。","question_kana":"1926年(ねん)、千歳(ちとせ)村民(そんみん)の着陸(ちゃくりく)場(じょう)造(づく)りには、力自慢(ちからじまん)の大人(おとな)の男(おとこ)だけが頑張(がんば)った。","answer":"×","note":"「2日作業をすれば、札幌に汽車で映画を観に行くより安く、珍しい飛行機が見られる」。この提案をみんなが受け入れ、青年団、婦人会、それに小学生までもが鋸や鍬を持って造成作業に参加したんだよ。","note_kana":"「2日(にち)作業(さぎょう)をすれば、札幌(さっぽろ)に汽車(きしゃ)で映画(えいが)を観(み)に行(い)くより安(やす)く、珍(めずら)しい飛行機(ひこうき)が見(み)られる」。この提案(ていあん)をみんなが受(う)け入(い)れ、青年(せいねん)団(だん)、婦人会(ふじんかい)、それに小学生(しょうがくせい)までもが鋸(のこぎり)や鍬(くわ)を持(も)って造成(ぞうせい)作業(さぎょう)に参加(さんか)したんだよ。"},{"question":"1926年、千歳村民の着陸場造りには、村民「約150人」が参加した。","question_kana":"1926年(ねん)、千歳(ちとせ)村民(そんみん)の着陸(ちゃくりく)場(じょう)造(づく)りには、村民(そんみん)「約(やく)150人(にん)」が参加(さんか)した。","answer":"◯","note":"1926年<大正15年>に150人もの村民が飛行機を着陸させるために無償で奉仕したんだ。これが、事に当たって一致協力する「スピリット・オブ・チトセ」の精神だよ。","note_kana":"1926年(ねん)<大正(たいしょう)15年(ねん)>に150人(にん)もの村民(そんみん)が飛行機(ひこうき)を着陸(ちゃくりく)させるために無償(むしょう)で奉仕(ほうし)したんだ。これが、事(こと)に当(あ)たって一致(いっち)協力(きょうりょく)する「スピリット・オブ・チトセ」の精神(せいしん)だよ。"},{"question":"1926年、千歳村民の着陸場造りにかかった日数は「1週間」である。","question_kana":"1926年(ねん)、千歳(ちとせ)村民(そんみん)の着陸(ちゃくりく)場(じょう)造(づく)りにかかった日数(にっすう)は「1週間(しゅうかん)」である。","answer":"×","note":"いえいえ、長さ約200m×幅約110m、整地面積約7,500坪の着陸場をたったの二日間で完成させたんだ。この村民の情熱が今の新千歳空港の原点なんだね。","note_kana":"いえいえ、長(なが)さ約(やく)200m×幅(はば)約(やく)110m、整地(せいち)面積(めんせき)約(やく)7,500坪(つぼ)の着陸(ちゃくりく)場(じょう)をたったの二日間(ふつかかん)で完成(かんせい)させたんだ。この村民(そんみん)の情熱(じょうねつ)が今(いま)の新千歳空港(しんちとせくうこう)の原点(げんてん)なんだね。"},{"question":"千歳村民手造りの着陸場に、初めて飛行機が降り立った記念すべき日は、「1926年10月22日」だ。","question_kana":"千歳(ちとせ)村民(そんみん)手造(てづく)りの着陸(ちゃくりく)場(じょう)に、初(はじ)めて飛行機(ひこうき)が降(お)り立(た)った記念(きねん)すべき日(ひ)は、「1926年(ねん)10月(がつ)22日(にち)」だ。","answer":"◯","note":"多くの人々の歓声が上がる中、村民手造りの着陸場に複葉機「北海」第1号が飛来し、千歳における空港の歴史が始まったんだよ。","note_kana":"多(おお)くの人々(ひとびと)の歓声(かんせい)が上(あ)がる中(なか)、村民(そんみん)手造(てづく)りの着陸(ちゃくりく)場(じょう)に複葉機(ふくようき)「北海(ほっかい)」第(だい)1号(ごう)が飛来(ひらい)し、千歳(ちとせ)における空港(くうこう)の歴史(れきし)が始(はじ)まったんだよ。"},{"question":"1926年に千歳村に降り立った飛行機をよく見ると、翼が上下に2枚あるが、このような形の飛行機を「複葉機 」という。","question_kana":"1926年(ねん)に千歳村(ちとせむら)に降(お)り立(た)った飛行機(ひこうき)をよく見(み)ると、翼(つばさ)が上下(じょうげ)に2枚(まい)あるが、このような形(かたち)の飛行機(ひこうき)を「複葉機(ふくようき) 」という。","answer":"◯","note":"複葉機って聞いたことがあるかな?揚力<飛行機が浮く力>を得るための主翼が2枚以上あるものを複葉機っていうんだ。今ではあまり見られなくなった飛行機だね。","note_kana":"複葉機(ふくようき)って聞(き)いたことがあるかな?揚力(ようりょく)<飛行機(ひこうき)が浮(う)く力(ちから)>を得(え)るための主翼(しゅよく)が2枚(まい)以上(いじょう)あるものを複葉機(ふくようき)っていうんだ。今(いま)ではあまり見(み)られなくなった飛行機(ひこうき)だね。"},{"question":"終戦から6年後の1951年、民間航空再開に伴い日本航空が定期便を開始したのは「千歳ー大阪間」である。","question_kana":"終戦(しゅうせん)から6年(ねん)後(ご)の1951年(ねん)、民間(みんかん)航空(こうくう)再開(さいかい)に伴(ともな)い日本(にほん)航空(こうくう)が定期便(ていきびん)を開始(かいし)したのは「千歳(ちとせ)ー大阪(おおさか)間(かん)」である。","answer":"×","note":"1951年、民間航空再開に伴い、北海道の空の玄関口・千歳空港が開港しました。これに伴い日本航空が定期便を開始したのは、「千歳ー東京間」だよ。","note_kana":"1951年(ねん)、民間(みんかん)航空(こうくう)再開(さいかい)に伴(ともな)い、北海道(ほっかいどう)の空(そら)の玄関口(げんかんぐち)・千歳(ちとせ)空港(くうこう)が開港(かいこう)しました。これに伴(ともな)い日本(にほん)航空(こうくう)が定期便(ていきびん)を開始(かいし)したのは、「千歳(ちとせ)ー東京(とうきょう)間(かん)」だよ。"},{"question":"1963年、最初に完成した千歳空港ターミナルビルは、「2階建て<一部地下1階>」の建物だった。","question_kana":"1963年(ねん)、最初(さいしょ)に完成(かんせい)した千歳(ちとせ)空港(くうこう)ターミナルビルは、「2階(かい)建(だ)て<一部(いちぶ)地下(ちか)1階(かい)>」の建物(たてもの)だった。","answer":"◯","note":"2階建ての1階に出発・到着ロビー、2階には官公庁の事務所を開設。屋上からは空港を見学することができたんだ。レジャーブームにより利用者は増え続けたんだよ。","note_kana":"2階(かい)建(だ)ての1階(かい)に出発(しゅっぱつ)・到着(とうちゃく)ロビー、2階(かい)には官公庁(かんこうちょう)の事務所(じむしょ)を開設(かいせつ)。屋上(おくじょう)からは空港(くうこう)を見学(けんがく)することができたんだ。レジャーブームにより利用者(りようしゃ)は増(ふ)え続(つづ)けたんだよ。"},{"question":"千歳空港に記念すべき10万機の飛行機が着陸したのは、「1967年」だった。","question_kana":"千歳(ちとせ)空港(くうこう)に記念(きねん)すべき10万(まん)機(き)の飛行機(ひこうき)が着陸(ちゃくりく)したのは、「1967年(ねん)」だった。","answer":"◯","note":"高度経済成長の真っ只中にあった1967年当時、日本では飛行機を利用した旅行者も急増し、この年の7月に千歳空港着陸10万機を突破することができたんだよ。","note_kana":"高度(こうど)経済(けいざい)成長(せいちょう)の真(ま)っ只中(ただなか)にあった1967年(ねん)当時(とうじ)、日本(にほん)では飛行機(ひこうき)を利用(りよう)した旅行者(りょこうしゃ)も急増(きゅうぞう)し、この年(とし)の7月(がつ)に千歳(ちとせ)空港(くうこう)着陸(ちゃくりく)10万(まん)機(き)を突破(とっぱ)することができたんだよ。"},{"question":"1981年、千歳から初の国際線定期便が運航を開始。その場所は「千歳ー成田経由ーフランス線」だった。","question_kana":"1981年(ねん)、千歳(ちとせ)から初(はつ)の国際(こくさい)線(せん)定期便(ていきびん)が運航(うんこう)を開始(かいし)。その場所(ばしょ)は「千歳(ちとせ)ー成田(なりた)経由(けいゆ)ーフランス線(せん)」だった。","answer":"×","note":"正解は「千歳ー成田経由ーホノルル線」。ホノルルはハワイのオアフ島にある空港だよ。これにより千歳からのハワイ旅行がとっても便利になったんだ。","note_kana":"正解(せいかい)は「千歳(ちとせ)ー成田(なりた)経由(けいゆ)ーホノルル線(せん)」。ホノルルはハワイのオアフ島(とう)にある空港(くうこう)だよ。これにより千歳(ちとせ)からのハワイ旅行(りょこう)がとっても便利(べんり)になったんだ。"},{"question":"1992年、新千歳空港ターミナルビルが開業して空港に直結したのは「JR駅」だ。","question_kana":"1992年(ねん)、新千歳空港(しんちとせくうこう)ターミナルビルが開業(かいぎょう)して空港(くうこう)に直結(ちょっけつ)したのは「JR駅(えき)」だ。","answer":"◯","note":"同年、JR新千歳空港駅が開業して、札幌方面や苫小牧方面へのアクセスがとっても便利になったんだよ。これによって新千歳空港の利用者も増えたんだ。","note_kana":"同年(どうねん)、JR新千歳空港(しんちとせくうこう)駅(えき)が開業(かいぎょう)して、札幌(さっぽろ)方面(ほうめん)や苫小牧(とまこまい)方面(ほうめん)へのアクセスがとっても便利(べんり)になったんだよ。これによって新千歳空港(しんちとせくうこう)の利用者(りようしゃ)も増(ふ)えたんだ。"},{"question":"2006年12月、新千歳ー羽田線の年間乗降客数が初めて「500万人」を突破した。","question_kana":"2006年(ねん)12月(がつ)、新千歳(しんちとせ)ー羽田線(はねだせん)の年間(ねんかん)乗降客数(じょうこうきゃくすう)が初(はじ)めて「500万(まん)人(にん)」を突破(とっぱ)した。","answer":"×","note":"正解は1,000万人だよ。2006年12月27にターミナル内で記念のセレモニーが行われ、1,000万人目にあたるお客様には花束と旅行券、記念品などが贈られたんだよ。","note_kana":"正解(せいかい)は1,000万(まん)人(にん)だよ。2006年(ねん)12月(がつ)27にターミナル内(ない)で記念(きねん)のセレモニーが行(おこな)われ、1,000万(まん)人(にん)目(め)にあたるお客様(きゃくさま)には花束(はなたば)と旅行券(りょこうけん)、記念(きねん)品(ひん)などが贈(おく)られたんだよ。"},{"question":"2026年、千歳市は記念すべき年を迎えるが、それは「千歳市空港開港100年記念」だ。","question_kana":"2026年(ねん)、千歳市(ちとせし)は記念(きねん)すべき年(とし)を迎(むか)えるが、それは「千歳市(ちとせし)空港(くうこう)開港(かいこう)100年(ねん)記念(きねん)」だ。","answer":"◯","note":"千歳市の空港は、1926年の着陸場造成を起源とし、2026年で100年を迎えます。その間、時代は大きく変わり、今では世界中から人が集まる北海道の玄関口へ。千歳市はこれからも未来に向かって羽ばたくよ。","note_kana":"千歳市(ちとせし)の空港(くうこう)は、1926年(ねん)の着陸(ちゃくりく)場(じょう)造成(ぞうせい)を起源(きげん)とし、2026年(ねん)で100年(ねん)を迎(むか)えます。その間(あいだ)、時代(じだい)は大(おお)きく変(か)わり、今(いま)では世界(せかい)中(ちゅう)から人(ひと)が集(あつ)まる北海道(ほっかいどう)の玄関口(げんかんぐち)へ。千歳市(ちとせし)はこれからも未来(みらい)に向(む)かって羽(は)ばたくよ。"}]
[{"question":"千歳に飛行場を誘致しようと最初<1915年頃>に夢を語り合った3人の村民の中に、当時の千歳村長は含まれていなかった。","question_kana":"千歳(ちとせ)に飛行場(ひこうじょう)を誘致(ゆうち)しようと最初(さいしょ)<1915年(ねん)頃(ごろ)>に夢(ゆめ)を語(かた)り合(あ)った3人(にん)の村民(そんみん)の中(なか)に、当時(とうじ)の千歳(ちとせ)村長(そんちょう)は含(ふく)まれていなかった。","answer":"×","note":"千歳村で飛行場への夢を思い描いた3人の村民は、村長の山田旦、郵便局長の中川種次郎、そして村議会議員であり山三ふじやグループ創業者の渡部栄蔵です。","note_kana":"千歳村(ちとせむら)で飛行場(ひこうじょう)への夢(ゆめ)を思(おも)い描(えが)いた3人(にん)の村民(そんみん)は、村長(そんちょう)の山田(やまだ)旦(あきら)、郵便(ゆうびん)局長(きょくちょう)の中川(なかがわ)種次郎(たねじろう)、そして村議会(そんぎかい)議員(ぎいん)であり山三(やまぞう)ふじやグループ創業者(そうぎょうしゃ)の渡部(わたなべ)栄蔵(えいぞう)です。"},{"question":"当初、小樽新聞社は、自社の飛行機を千歳村の上空で飛ばすことは提案したが、着陸する予定はなかった。","question_kana":"当初(とうしょ)、小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)は、自社(じしゃ)の飛行機(ひこうき)を千歳村(ちとせむら)の上空(じょうくう)で飛(と)ばすことは提案(ていあん)したが、着陸(ちゃくりく)する予定(よてい)はなかった。","answer":"◯","note":"小樽新聞社は、観楓会の際に「この飛行機を千歳村の上空で飛ばし、歓待のお礼として当日、空から宣伝ビラを撒きましょう」と提案しました。これに対し、千歳村が着陸を依頼しました。","note_kana":"小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)は、観楓(かんぷう)会(かい)の際(さい)に「この飛行機(ひこうき)を千歳村(ちとせむら)の上空(じょうくう)で飛(と)ばし、歓待(かんたい)のお礼(れい)として当日(とうじつ)、空(そら)から宣伝(せんでん)ビラを撒(ま)きましょう」と提案(ていあん)しました。これに対(たい)し、千歳村(ちとせむら)が着陸(ちゃくりく)を依頼(いらい)しました。"},{"question":"千歳に初めて着陸した飛行機「北海」第1号は、もともと民間航空会社のために開発された最新鋭の機体であった。","question_kana":"千歳(ちとせ)に初(はじ)めて着陸(ちゃくりく)した飛行機(ひこうき)「北海(ほっかい)」第(だい)1号(ごう)は、もともと民間(みんかん)航空(こうくう)会社(がいしゃ)のために開発(かいはつ)された最新鋭(さいしんえい)の機体(きたい)であった。","answer":"×","note":"「北海」第1号は、海軍が採用していた「十年式艦上偵察機」をベースとしており、民間航空会社のために開発されたわけではありません。","note_kana":"「北海(ほっかい)」第(だい)1号(ごう)は、海軍(かいぐん)が採用(さいよう)していた「十年(じゅうねん)式(しき)艦上(かんじょう)偵察機(ていさつき)」をベースとしており、民間(みんかん)航空(こうくう)会社(がいしゃ)のために開発(かいはつ)されたわけではありません。"},{"question":"酒井憲次郎操縦士は、千歳への訪問飛行後、航空業界を離れ、故郷の新潟で余生を送った。","question_kana":"酒井(さかい)憲次郎(けんじろう)操縦士(そうじゅうし)は、千歳(ちとせ)への訪問(ほうもん)飛行(ひこう)後(ご)、航空(こうくう)業界(ぎょうかい)を離(はな)れ、故郷(こきょう)の新潟(にいがた)で余生(よせい)を送(おく)った。","answer":"×","note":"酒井憲次郎操縦士は、小樽新聞社を退社後、朝日新聞社航空部に入り、国内外で重要な飛行任務を担いました。","note_kana":"酒井(さかい)憲次郎(けんじろう)操縦士(そうじゅうし)は、小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)を退社(たいしゃ)後(ご)、朝日(あさひ)新聞社(しんぶんしゃ)航空(こうくう)部(ぶ)に入(はい)り、国内外(こくないがい)で重要(じゅうよう)な飛行(ひこう)任務(にんむ)を担(にな)いました。"},{"question":"千歳村が最初に政府に提出した飛行場設置の請願書は、土地の無償提供を申し出るほど熱意のあるものだったが、最終的<昭和初期頃>に北海道の基幹飛行場は騒音問題を考慮して千歳ではなく札幌の北24条に建設されることになった。","question_kana":"千歳村(ちとせむら)が最初(さいしょ)に政府(せいふ)に提出(ていしゅつ)した飛行場(ひこうじょう)設置(せっち)の請願書(せいがんしょ)は、土地(とち)の無償(むしょう)提供(ていきょう)を申(もう)し出(で)るほど熱意(ねつい)のあるものだったが、最終的(さいしゅうてき)<昭和(しょうわ)初期(しょき)頃(ごろ)>に北海道(ほっかいどう)の基幹(きかん)飛行場(ひこうじょう)は騒音(そうおん)問題(もんだい)を考慮(こうりょ)して千歳(ちとせ)ではなく札幌(さっぽろ)の北(きた)24条(じょう)に建設(けんせつ)されることになった。","answer":"×","note":"千歳村は土地が平坦であること、札幌に近接していること、地盤が強固であること、積雪が少ないこと、鉄道や電力の利用が可能であることなど、千歳の地の優位性をアピールし、土地の無償提供も申し出ていました。しかし、政府が札幌の北24条に基幹飛行場を建設することを決定した理由は、当時の飛行機が小型で広大な面積を必要としなかったこと、そして騒音がそれほど問題にならなかったため、利用者の利便性が優先されたためです。","note_kana":"千歳村(ちとせむら)は土地(とち)が平坦(へいたん)であること、札幌(さっぽろ)に近接(きんせつ)していること、地盤(じばん)が強固(きょうこ)であること、積雪(せきせつ)が少(すく)ないこと、鉄道(てつどう)や電力(でんりょく)の利用(りよう)が可能(かのう)であることなど、千歳(ちとせ)の地(ち)の優位性(ゆういせい)をアピールし、土地(とち)の無償(むしょう)提供(ていきょう)も申(もう)し出(で)ていました。しかし、政府(せいふ)が札幌(さっぽろ)の北(きた)24条(じょう)に基幹(きかん)飛行場(ひこうじょう)を建設(けんせつ)することを決定(けってい)した理由(りゆう)は、当時(とうじ)の飛行機(ひこうき)が小型(こがた)で広大(こうだい)な面積(めんせき)を必要(ひつよう)としなかったこと、そして騒音(そうおん)がそれほど問題(もんだい)にならなかったため、利用者(りようしゃ)の利便性(りべんせい)が優先(ゆうせん)されたためです。"},{"question":"千歳村は、民間飛行場の誘致を断念した後、3度にわたる拡張工事を経て、飛行場面積17万坪以上の飛行場を完成させたが、陸軍が飛行隊を設置したのは帯広であった。","question_kana":"千歳村(ちとせむら)は、民間(みんかん)飛行場(ひこうじょう)の誘致(ゆうち)を断念(だんねん)した後(あと)、3度(ど)にわたる拡張(かくちょう)工事(こうじ)を経(へ)て、飛行場(ひこうじょう)面積(めんせき)17万(まん)坪(つぼ)以上(いじょう)の飛行場(ひこうじょう)を完成(かんせい)させたが、陸軍(りくぐん)が飛行(ひこう)隊(たい)を設置(せっち)したのは帯広(おびひろ)であった。","answer":"◯","note":"村民を動員して3度にわたる拡張工事を行い、最終的に17万坪以上の北海道最大の飛行場となりましたが、陸軍は千歳ではなく、既存の民間飛行場を軍事転用できる帯広に飛行隊を設置しました。","note_kana":"村民(そんみん)を動員(どういん)して3度(ど)にわたる拡張(かくちょう)工事(こうじ)を行(おこな)い、最終的(さいしゅうてき)に17万(まん)坪(つぼ)以上(いじょう)の北海道(ほっかいどう)最大(さいだい)の飛行場(ひこうじょう)となりましたが、陸軍(りくぐん)は千歳(ちとせ)ではなく、既存(きそん)の民間(みんかん)飛行場(ひこうじょう)を軍事(ぐんじ)転用(てんよう)できる帯広(おびひろ)に飛行(ひこう)隊(たい)を設置(せっち)しました。"},{"question":"海軍が北海道に航空基地を建設するにあたり、当初は、根室が有力候補地と考えられていたが、海軍は建設地を再考し、「石狩川流域」、「苫小牧地区」、「千歳付近」の3つに候補を絞り込んだ。","question_kana":"海軍(かいぐん)が北海道(ほっかいどう)に航空(こうくう)基地(きち)を建設(けんせつ)するにあたり、当初(とうしょ)は、根室(ねむろ)が有力(ゆうりょく)候補(こうほ)地(ち)と考(かんが)えられていたが、海軍(かいぐん)は建設(けんせつ)地(ち)を再考(さいこう)し、「石狩川(いしかりがわ)流域(りゅういき)」、「苫小牧(とまこまい)地区(ちく)」、「千歳(ちとせ)付近(ふきん)」の3つに候補(こうほ)を絞(しぼ)り込(こ)んだ。","answer":"◯","note":"海軍は当初、アメリカ軍艦隊を迎え撃つため、アメリカ本土に近い根室を建設地として有力視していました。しかし、海軍大演習の結果、根室飛行場は霧の発生が多いことが判明し、不適当とされました。その後、檜貝嚢治と小福田晧文の2名のパイロットが、「石狩川流域」、「苫小牧地区」、「千歳付近」の3つを候補として調査を開始しました。","note_kana":"海軍(かいぐん)は当初(とうしょ)、アメリカ軍(ぐん)艦隊(かんたい)を迎(むか)え撃(う)つため、アメリカ本土(ほんど)に近(ちか)い根室(ねむろ)を建設(けんせつ)地(ち)として有力視(ゆうりょくし)していました。しかし、海軍(かいぐん)大(だい)演習(えんしゅう)の結果(けっか)、根室(ねむろ)飛行場(ひこうじょう)は霧(きり)の発生(はっせい)が多(おお)いことが判明(はんめい)し、不適当(ふてきとう)とされました。その後(あと)、檜貝(ひがい)嚢(ふくろ)治(ち)と小福田晧文(こふくだてるふみ)の2名(めい)のパイロットが、「石狩川(いしかりがわ)流域(りゅういき)」、「苫小牧(とまこまい)地区(ちく)」、「千歳(ちとせ)付近(ふきん)」の3つを候補(こうほ)として調査(ちょうさ)を開始(かいし)しました。"},{"question":"千歳海軍航空隊の開隊により、千歳村の人口は昭和10年の約6,500人から昭和17年には約1万4,000人へと増加し、同年、市制に移行して「千歳市」となった。","question_kana":"千歳(ちとせ)海軍(かいぐん)航空(こうくう)隊(たい)の開(かい)隊(たい)により、千歳村(ちとせむら)の人口(じんこう)は昭和(しょうわ)10年(ねん)の約(やく)6,500人(にん)から昭和(しょうわ)17年(ねん)には約(やく)1万(まん)4,000人(にん)へと増加(ぞうか)し、同年(どうねん)、市制(しせい)に移行(いこう)して「千歳市(ちとせし)」となった。","answer":"×","note":"千歳海軍航空隊の開隊により人口が増加し、昭和17年には約1万4,000人になりましたが、同年5月1日に移行したのは「町制」であり、「市制」ではありません。","note_kana":"千歳(ちとせ)海軍(かいぐん)航空(こうくう)隊(たい)の開(かい)隊(たい)により人口(じんこう)が増加(ぞうか)し、昭和(しょうわ)17年(ねん)には約(やく)1万(まん)4,000人(にん)になりましたが、同年(どうねん)5月(がつ)1日(にち)に移行(いこう)したのは「町制(ちょうせい)」であり、「市制(しせい)」ではありません。"},{"question":"昭和26年、日本の航空運送事業免許を取得するために5社が乱立したが、最終的に一本化され日本航空株式会社が設立されたものの、自主運航が認められていなかったため、イギリスの航空会社と契約し、委託料を支払うという運航方式をとっていた。","question_kana":"昭和(しょうわ)26年(ねん)、日本(にほん)の航空(こうくう)運送(うんそう)事業(じぎょう)免許(めんきょ)を取得(しゅとく)するために5社(しゃ)が乱立(らんりつ)したが、最終的(さいしゅうてき)に一本化(いっぽんか)され日本(にほん)航空(こうくう)株式(かぶしき)会社(がいしゃ)が設立(せつりつ)されたものの、自主(じしゅ)運航(うんこう)が認(みと)められていなかったため、イギリスの航空(こうくう)会社(がいしゃ)と契約(けいやく)し、委託(いたく)料(りょう)を支払(しはら)うという運航(うんこう)方式(ほうしき)をとっていた。","answer":"×","note":"日本航空は営業のみで、航空機の運航はまだ認められていなかったため、アメリカのノースウエスト航空との間に運航委託契約を結び、運航実績に応じて同社に委託料を支払うという変則的な運航方式がとられました。","note_kana":"日本(にほん)航空(こうくう)は営業(えいぎょう)のみで、航空機(こうくうき)の運航(うんこう)はまだ認(みと)められていなかったため、アメリカのノースウエスト航空(こうくう)との間(あいだ)に運航(うんこう)委託(いたく)契約(けいやく)を結(むす)び、運航(うんこう)実績(じっせき)に応(おう)じて同社(どうしゃ)に委託(いたく)料(りょう)を支払(しはら)うという変則的(へんそくてき)な運航(うんこう)方式(ほうしき)がとられました。"},{"question":"昭和34年に千歳飛行場がアメリカ軍から日本に返還された際、民間専用地域は滑走路の西側に設けられた。その後、初代千歳市長である山崎友吉が中心となり、ターミナルビル建設に向けて奔走した。","question_kana":"昭和(しょうわ)34年(ねん)に千歳(ちとせ)飛行場(ひこうじょう)がアメリカ軍(ぐん)から日本(にほん)に返還(へんかん)された際(さい)、民間(みんかん)専用(せんよう)地域(ちいき)は滑走路(かっそうろ)の西側(にしがわ)に設(もう)けられた。その後(あと)、初代(しょだい)千歳(ちとせ)市長(しちょう)である山崎(やまざき)友吉(ともきち)が中心(ちゅうしん)となり、ターミナルビル建設(けんせつ)に向(む)けて奔走(ほんそう)した。","answer":"×","note":"昭和34年7月、千歳飛行場がアメリカ軍から日本に返還されたことを機に、民間専用地域を滑走路東側に設けるとの基本方針が示されました。また、ターミナルビル建設に向けて奔走したのは、この年に2代目千歳市長に就任した米田忠雄です。","note_kana":"昭和(しょうわ)34年(ねん)7月(がつ)、千歳(ちとせ)飛行場(ひこうじょう)がアメリカ軍(ぐん)から日本(にほん)に返還(へんかん)されたことを機(き)に、民間(みんかん)専用(せんよう)地域(ちいき)を滑走路(かっそうろ)東側(ひがしがわ)に設(もう)けるとの基本(きほん)方針(ほうしん)が示(しめ)されました。また、ターミナルビル建設(けんせつ)に向(む)けて奔走(ほんそう)したのは、この年(とし)に2代目(だいめ)千歳(ちとせ)市長(しちょう)に就任(しゅうにん)した米田(よねだ)忠雄(ただお)です。"},{"question":"昭和41年、運輸大臣と北海道開発庁長官から、千歳空港を自衛隊専用空港とし、札幌周辺に国際空港を建設する計画が発表された。これに対し、千歳市は自衛隊専用ではなく、民間専用の空港としての整備と国際空港化を求める要望書を政府に提出した。","question_kana":"昭和(しょうわ)41年(ねん)、運輸(うんゆ)大臣(だいじん)と北海道開発庁(ほっかいどうかいはつちょう)長官(ちょうかん)から、千歳(ちとせ)空港(くうこう)を自衛隊(じえいたい)専用(せんよう)空港(くうこう)とし、札幌(さっぽろ)周辺(しゅうへん)に国際空港(こくさいくうこう)を建設(けんせつ)する計画(けいかく)が発表(はっぴょう)された。これに対(たい)し、千歳市(ちとせし)は自衛隊(じえいたい)専用(せんよう)ではなく、民間(みんかん)専用(せんよう)の空港(くうこう)としての整備(せいび)と国際空港(こくさいくうこう)化(か)を求(もと)める要望書(ようぼうしょ)を政府(せいふ)に提出(ていしゅつ)した。","answer":"◯","note":"千歳市は、政府に対して、空港の軍民分離を前提とした民間空港としての発展を強く求めました。","note_kana":"千歳市(ちとせし)は、政府(せいふ)に対(たい)して、空港(くうこう)の軍(ぐん)民(みん)分離(ぶんり)を前提(ぜんてい)とした民間(みんかん)空港(くうこう)としての発展(はってん)を強(つよ)く求(もと)めました。"},{"question":"新千歳空港の建設計画当初、台形のターミナルビルが計画されていたが、その後、計画が変更され、ターミナルビルの形状は半円形となった。","question_kana":"新千歳空港(しんちとせくうこう)の建設(けんせつ)計画(けいかく)当初(とうしょ)、台形(だいけい)のターミナルビルが計画(けいかく)されていたが、その後(あと)、計画(けいかく)が変更(へんこう)され、ターミナルビルの形状(けいじょう)は半円形(はんえんけい)となった。","answer":"◯","note":"新千歳空港の建設計画当初、年間3,600万人の利用を見込み、台形のターミナルビルが計画されていましたが、オイルショックや国の財政状況悪化などにより計画が大幅に変更され、供用開始時の需要予測は年間2,462万人、ターミナルビルの形状は半円形となりました。","note_kana":"新千歳空港(しんちとせくうこう)の建設(けんせつ)計画(けいかく)当初(とうしょ)、年間(ねんかん)3,600万(まん)人(にん)の利用(りよう)を見込(みこ)み、台形(だいけい)のターミナルビルが計画(けいかく)されていましたが、オイルショックや国(くに)の財政(ざいせい)状況(じょうきょう)悪化(あっか)などにより計画(けいかく)が大幅(おおはば)に変更(へんこう)され、供用(きょうよう)開始(かいし)時(じ)の需要(じゅよう)予測(よそく)は年間(ねんかん)2,462万(まん)人(にん)、ターミナルビルの形状(けいじょう)は半円形(はんえんけい)となりました。"},{"question":"昭和63年7月20日、開港の日を迎えた新千歳空港ではセレモニーが行われ、新滑走路から日本航空の1番機が離陸した。","question_kana":"昭和(しょうわ)63年(ねん)7月(がつ)20日(にち)、開港(かいこう)の日(ひ)を迎(むか)えた新千歳空港(しんちとせくうこう)ではセレモニーが行(おこな)われ、新(しん)滑走路(かっそうろ)から日本(にほん)航空(こうくう)の1番(ばん)機(き)が離陸(りりく)した。","answer":"×","note":"全日空の1番機が離陸し、その直後には、アンカレジ発の日本航空の貨物便が2便、続いてアメリカの貨物航空会社2社の便が到着し、国際色豊かな幕開けとなりました。","note_kana":"全日空(ぜんにっくう)の1番(ばん)機(き)が離陸(りりく)し、その直後(ちょくご)には、アンカレジ発(はつ)の日本(にほん)航空(こうくう)の貨物便(かもつびん)が2便(びん)、続(つづ)いてアメリカの貨物(かもつ)航空(こうくう)会社(がいしゃ)2社(しゃ)の便(びん)が到着(とうちゃく)し、国際(こくさい)色(しょく)豊(ゆた)かな幕開(まくあ)けとなりました。"},{"question":"「北海」第1号は、飛行機の上の翼の上側、下の翼の下側及び機体側面に「J-TAWA」の標識が印字されていたが、操縦席の両脇には「北海」の二文字と、小樽新聞社の社章がデザインされていた。","question_kana":"「北海(ほっかい)」第(だい)1号(ごう)は、飛行機(ひこうき)の上(うえ)の翼(つばさ)の上側(うえがわ)、下(した)の翼(つばさ)の下側(したがわ)及(およ)び機体(きたい)側面(そくめん)に「J-TAWA」の標識(ひょうしき)が印字(いんじ)されていたが、操縦席(そうじゅうせき)の両脇(りょうわき)には「北海(ほっかい)」の二文字(もじ)と、小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)の社章(しゃしょう)がデザインされていた。","answer":"◯","note":"「北海」第1号は、白銀色の機体に、飛行機の上の翼の上側、下の翼の下側及び機体側面に印字された「J-TAWA」の標識が特徴的です。操縦席の両脇には「北海」の二文字、さらに小樽新聞社の社章である鳳凰がデザインされています。","note_kana":"「北海(ほっかい)」第(だい)1号(ごう)は、白銀色(しろがねいろ)の機体(きたい)に、飛行機(ひこうき)の上(うえ)の翼(つばさ)の上側(うえがわ)、下(した)の翼(つばさ)の下側(したがわ)及(およ)び機体(きたい)側面(そくめん)に印字(いんじ)された「J-TAWA」の標識(ひょうしき)が特徴的(とくちょうてき)です。操縦席(そうじゅうせき)の両脇(りょうわき)には「北海(ほっかい)」の二文字(もじ)、さらに小樽(おたる)新聞社(しんぶんしゃ)の社章(しゃしょう)である鳳凰(ほうおう)がデザインされています。"}]
[{"collect":"0","text":"まだまだこれから!\n千歳市の空港の歴史をもっと学ぼう!","text_kana":"まだまだこれから!\n千歳市(ちとせし)の空港(くうこう)の歴史(れきし)をもっと学(まな)ぼう!"},{"collect":"4","text":"もう一息!\n千歳市の空港の歴史をもっと楽しもう!","text_kana":"もう一息(ひといき)!\n千歳市(ちとせし)の空港(くうこう)の歴史(れきし)をもっと楽(たの)しもう!"},{"collect":"8","text":"おしい!\n千歳市の空港の歴史に詳しいね!","text_kana":"おしい!\n千歳市(ちとせし)の空港(くうこう)の歴史(れきし)に詳(くわ)しいね!"},{"collect":"12","text":"全問正解やったね!\nきみは千歳市の空港の歴史マスターだ!","text_kana":"全問(ぜんもん)正解(せいかい)やったね!\nきみは千歳市(ちとせし)の空港(くうこう)の歴史(れきし)マスターだ!"}]